『ウィスキー』

記念写真に収まる際の合言葉、日本では“チーズ”(『寅さん』シリーズではご存知“バター”ですね)と言うところを、ウルグアイでは“ウィスキー”と言うらしい。映画は見知らぬ遠い異国の面白い風習や文化を教えてくれる。ウルグアイ映画としては日本初公開とのこと。もちろんワタシもウルグアイ映画は初めて。
ハコボという初老の男が靴下工場を細々と経営している。女性従業員が三人だけという小さな町工場で、製品の配達もハコボが自分でやっている。工場の海外移転が進んだ日本ではこんな工場はもうとんと見かけない(昭和三十年代の日本映画を見ているような錯覚を受けた。)。
この工場にマルタという中年の女性がいる。彼女は機械の前に立つだけでなく、ハコボの世話を焼いたり他の二人の女性従業員が退社する時には持ち物検査もやったりする。ベテランの従業員らしく、毎朝律儀にハコボの出勤を待ち、決まりきった仕事を無駄なくこなしているが、ほとんどまったく動かない彼女の表情には、変化のない日常と長年折り合いをつけてきた中年女性の、深く澱んだ諦めのようなものが見て取れる。
ブラジルに住むハコボの弟が兄を訪ねてくるところからこの映画は動き出す。
ハコボはマルタに、弟の滞在中だけ自分の妻の振りをしてくれと頼む。彼女はあっさり引き受ける。マルタは一人暮らしのハコボの部屋を小奇麗に片付け、美容院に行き、紅をつけ、派手なドレスを纏う。夫婦を偽装する写真ももちろん用意する。
往年のフランク・キャプラの人情噺やその見事なイタダキである吉本新喜劇を思わせる常套的な展開で始まるこの映画、物語が進むにつれて妻役を引き受けたマルタの表情に微妙な変化が現れる。マルタが寝室に枕を並べたりするところなども笑わせる。彼女は何かを待っている。ハコボはそれにまったく気づかない(気づこうとしない)。ふたりの間に起こる感情の微妙なすれ違い。そこにこの映画独特の味わいがある。
アキ・カウリスマキとの類似性を指摘する意見が多い。ワタシも賛成する。カウリスマキは日本映画(ことに小津安二郎作品)に傾倒していると聞く。もともと寡黙と無表情の奥に潜んだ感情の微妙なアヤを描くテクニックは日本映画の独壇場だった。だからカウリスマキに少なからず影響を受けていると思われるこの映画も、実は往年の日本映画、それも小津よりもむしろ成瀬巳喜男の影響下にあると言えるのではないか。
ファン・パブロ・レベージャとパブロ・ストールというふたりの監督はまだ若いと聞く。地球の反対側にこのような若手が現れたことが驚異でもあり、嬉しくもある。
ハコボを演じる、くたびれたイヴ・モンタンのような顔をした男優も、マルタを演じる女優も素晴らしい。