『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

私小説ならぬ私映画なるものは、もともと製作規模の小さな欧州映画や日本映画あたりが得意とするジャンル。アメリカにもその種の映画がまったくないわけではないが、観客が期待する展開と結末をあらかじめ計算し尽くし、メガヒットを約束された映画のみが製作を許されるという強固な資本の論理に支配された昨今のハリウッド映画では成立し難いジャンルと言える。製作者、監督といえどもクルーの歯車。個人的心情やメッセージをフィルムに刻み込む余地などあろうはずもなく、そうした資本の論理から自由でいられるのは、多少の興行的失敗などものともしない一部の大物製作者か監督だけだろう。さしずめスピールバーグはそのひとりである。
スピールバーグは、従業員のふりをして撮影所に入り浸り、いつの間にやらTVムーヴィの監督にまでのし上がってしまった伝説の男。その彼が、同じ頃、パイロットになりすまして全米を飛び回っていた若き詐欺師に個人的な興味と親近感を抱き、彼の行動を通して私映画=自伝的作品を撮りたいという欲望に駆られたとしても不思議はない。その並々ならぬ意欲は、極めつけの私映画作家たるトリュフォー映画のヒロイン(ナタリー・バイ)を起用したことにも現れていると思う。

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本作の時代背景は、スピールバーグ自身がまだ若きアマチュアだった六〇年代中盤から後半の頃。パイロット、医師などに変身し巧みに追っ手をかわしていく詐欺師のコミカルな逃亡劇は、本編にも挿入された『ドクター・キルデア』『ペリー・メイスン』などと同様、まさに六〇年代連続TVドラマのタッチそのもの。一本の映画というよりは、数回に分けて連続放送してみてはいかが、と言いたくなるほどの稚気に溢れている。
タイトルの『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』とは、実は、追っ手をあざ笑う詐欺師の台詞などではなく、六〇年代という帰らざる若き日々が、初老の域に近づきつつあるスピールバーグ自身に向かって発した囁きの言葉だったのかもしれない。死の数年前にあったジュディ・ガーランドが歌う「エンブレイサブル・ユー」を聴きながら、ふとそんなことを思ったりした。