『麦秋』

一家の老父(菅井一郎)が小鳥の餌を買いに家を出る。踏切の前まで来ると遮断機が下り、老父は道端に腰を降ろす。電車が通り過ぎる。遮断機があがる。老父は腰掛けたまま吐息をつき、空を見る。彼の顔には笑みが浮かんでいる。
麦秋』の終盤に現れる謎めいたシーンである。それまで緩やかなテンポで重ねられてきた一家の生活点描は、この踏切のシーンを境に急転し、末娘・紀子(原節子)の結婚、老夫婦の大和への隠居、長兄(笠智衆)の医院開業という家族離散へのシナリオを一気に突き進んでいく。
小津が「押し切らずに余白を残すように」演出し、「判って貰える人は判ってくれた筈」(ともに「自作を語る」)と言う『麦秋』の中でも、とりわけこのシーンの解釈は難しい。
そこで、小津映画に登場した踏切について考えてみた。
まず『東京暮色』。『東京暮色』では、踏切は末娘(有馬稲子)が自殺する場所として登場し、母(山田五十鈴)は、彼女の死を機に北海道へと旅立つ。次に『母を恋はずや』。この映画では、父の死によって没落した一家が山の手の豪邸から郊外に転居していく。その引っ越しの途上に現れたのがやはり踏切だった。
今ひとつは『生れてはみたけれど』。主人公の一家は、都心から郊外の一軒家に引っ越してくる。新居の前には軌道が走っており、一家の兄弟は毎朝この軌道の踏切を渡って新しい学校に通うことになる。踏切は、転居によってもたらされた全く新しい風景である。
小津映画の特徴のひとつに、<反復><繰り返し>がある。彼の作品に繰り返し登場する踏切は、このように考えてみると、どうやら転居や家族の離散が起こるたびに現れる記号のようなもの、という気がしてならない。
これは仮説にすぎないが、小津にとって、家族の離散と踏切は、記憶の中で分かち難く結びついていたのではないか。なぜなら、父親を東京に残して移り住んだ松阪の屋敷近くには軽便の軌道が走っており、毎日彼はその軌道の踏切を渡って小学校に通っていたはずだからだ。
少年・安二郎の心に焼き付いた父親不在(家族離散)の寂しさと踏切の光景。その原風景ともいえるイメージが、『麦秋』の謎めいた(解釈不能な)踏切のシーンに結びついているのではないかと思った。

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小津安二郎 DVD-BOX 第四集

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