『フリーダ』

名古屋市美術館で開かれている「フリーダ・カーロとその時代」展と、進富座で上映中の『フリーダ』を続けて楽しんだ。
家人が、フリーダ・カーロをはじめて日本に紹介した本(『フリーダ・カーロ/生涯と芸術』晶文社)の翻訳者の教え子という事情もあって、フリーダ・カーロの名前だけは随分前から知ってはいたけれど、今回じっくり絵を見ることができ、彼女の生涯にもとても興味がわいてきた。家人に本(とてもブ厚い!)を借りて読んでみるか。
展覧会では、フリーダの同時代人であるマリア・イスキエルドという画家の絵も見ることができたが、彼女の絵の中にルイス・ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』やジョン・ヒューストンの『黄金』を感じた。
理由は説明できないけれど、ブニュエルは1940年代から50年代にかけてメキシコに滞在して映画を撮っていたし、ヒューストンもメキシコを放浪していたことがあるので、あるいはどこかですれ違ったことがあったかもしれない。
交流といえば、ソ連からメキシコに亡命していたトロツキーを庇護していたのがフリーダの夫・リベラだったというのは、展覧会の解説を読んで初めて知った。そのトロツキーとフリーダが関係するくだりは映画の方で描かれているが、パリパリのボルシェヴィキと情熱的な画家の結びつきだけに興味津々。
メキシコ亡命時代のトロツキーを描いた映画に『暗殺者のメロディ』という面白い作品があって、リチャード・バートン演じるトロツキーピッケルで暗殺する青年をアラン・ドロンが演じていた。無口で暗い暗殺者を演じたドロンは素晴らしく『サムライ』と並んで彼の代表作。
監督のジョゼフ・ロージー自身も赤狩りを逃れて欧州で映画を撮っていた、いわば亡命者。『暗殺者のメロディ』には、もちろんフリーダは出てこないし、“亡命者”ロージーの描くトロツキーと『フリーダ』のトロツキーでは全然イメージが違う。そんなところも映画のおもしろいところ。