『真珠の耳飾りの少女』

映画に登場する肖像画はどうも亡霊と結びつくことが多い。たとえばヒッチコックの『レベッカ』や『めまい』。主人公は、肖像画に描かれた女性の霊や呪いにさいなまれるという設定。肖像画そのものが、亡くなった妻や恋人といった最愛の人物の面影をとどめようとして描かれるものだから、あの世の人物の恨みや怨念を映画的に描くには、肖像画というのは実に便利な小道具である。
肖像画真珠の耳飾りの少女』のモデルも、実は画家フェルメールの亡くなった娘ではないかという説があるそうで、だとすれば、映画『真珠の耳飾りの少女』も立派な亡霊映画の一種と考えられないこともないのだけれど、とりあえず少女はフェルメール家に仕えた奉公人と考えれば、内容的にはむしろ、貧乏画家がミステリアスな少女の面影を肖像画に描く『ジェニーの肖像』に近い映画なのかもしれない。
貧乏画家といえば、フェルメールも子だくさんの売れない画家だったそうで、売れっ子画家が主人公ではやっぱり映画は面白くないのだろう、画家の伝記映画は、極貧時代を描くものが多いように思う。中でも強い印象を残すのがジャック・ベッケル監督(大好き!)の『モンパルナスの灯』。画商(リノ・ヴァンチュラ)が、モディリアニが衰弱していくのを待って次々と代表作を買い叩いていくラストが凄かった。
画家の伝記映画では、他にも『炎の人ゴッホ』とかロートレックを描いた『赤い風車』なんて作品もあるけれど、変わったところでは画学生を主人公にした『巴里のアメリカ人』。ジーン・ケリーがパリに留学中の画学生(全然似合ってませんけどネ)で、やっぱり貧乏な屋根裏部屋暮らしという設定だった。
監督のピーター・ウェーバーは本作が処女作と聞いて驚いた。とてもそうは思えない。『真珠の耳飾りの少女』のような映画の場合、ベテランの技術陣が新人監督を支えたと考えてよいのではないか。特に撮影監督エドュアルド・セラの役割は重要だと思う。新人監督がデビュー作を撮るときにベテランの撮影監督が付くことはよくあるケース(たとえば大映時代の新人・池広一夫に付いたのがあの宮川一夫!)。
新人監督&ベテラン撮影監督に限らず、監督と撮影監督には、これ以上のコンビネーションなど考えられない組み合わせというのがあって、たとえば、ジョン・フォードグレッグ・トーランド、イングマル・ベルイマンスヴェン・ニクヴィスト、デーヴィッド・リーンとフレディ・A・ヤング、トリュフォーネストール・アルメンドロスなどなど。
真珠の耳飾りの少女』でも、奇跡のような至福の関係がまたひとつ生まれた。

レベッカ [DVD] FRT-001

レベッカ [DVD] FRT-001

めまい [DVD]

めまい [DVD]

モンパルナスの灯 [DVD]

モンパルナスの灯 [DVD]

巴里のアメリカ人 [DVD] FRT-080

巴里のアメリカ人 [DVD] FRT-080