『グッバイ、レーニン!』

フランク・キャプラの人情噺(『一日だけの淑女』とそのリメイク『ポケット一杯の幸福』)や、キャプラ映画の見事なイタダキである数々の吉本新喜劇をちょっと思い出させてくれる。
善意で始まった嘘もいつかはバレてしまう。『グッバイ、レーニン!』でも、病床に伏せっていた母親が、カーテンの隙間に見え隠れするコカコーラの垂れ幕に気付く。息子たちは、東独が冷戦に勝利し西側難民を受け入れているというニュースをでっち上げたり、東独時代の食料品をやっとのことで手に入れて彼女を安心させようと奮戦する。
そのドタバタの中で生じる笑いは、ハリウッド人情喜劇のような幸福感に満ちたものではない。東独崩壊に続く旧東独市民の道のりが苦渋に満ちたものであるだけに、どこか自虐的で苦い。
コカコーラは資本主義と西側文化そのもの(小津の『晩春』にも、敗戦後間もない日本にどっと流れ込んできた自由と民主主義の象徴のようにコカコーラの看板が登場していた)である。この垂れ幕でとっさに思い起こしたのがビリー・ワイルダーの『ワン・ツー・スリー』。
『ワン・ツー・スリー』では、ジェームス・キャグニーがコカコーラのベルリン支社長。彼は、資本主義のショーウィンドウで、まさにアメリカ文化を象徴する商品としてのコカコーラを猛烈に売り込んでいる。『グッバイ、レーニン!』の監督、実はなかなかのハリウッド映画、それもコメディ好きである。
グッバイ、レーニン!』で思い出した映画がもうひとつ。それは『大空輸』という古い米映画。正確にはベルリンの壁が築かれる以前の一九四八年、ドイツ市民の西側への逃亡を阻止するために、ソ連がベルリンを封鎖して東西緊張が一気に高まった時期があった。ベルリンの壁のいわば前哨戦で、米軍はこれに対抗してベルリンに食料や燃料を大量に空輸、これによって西側だけでなく東側のベルリン市民も飢えから逃れることができたという歴史的な事件。
『大空輸』はこの事件の映画化で、東西冷戦のいわば落とし子であるが、もし「映画に見る世界史」なんて企画上映でもあれば、東西冷戦の章で最初に上映しなければならないのが『大空輸』、最後が『グッバイ、レーニン!』である。