『珈琲時光』

鬼子母神前雑司ヶ谷あたり)から鉄道を使って神田神保町古書店街へ出かけるにはいくつかのルートがある。ひとつは、都電荒川線東池袋で地下鉄有楽町線に乗り換え、飯田橋でさらに総武線に乗り継いで御茶の水に至るルート。ふたつ目は、都電荒川線で大塚まで行き、山手線の巣鴨で地下鉄都営三田線に乗り換えて神保町に出るルート。そしてもう三つ目は、ふたつ目と同じく、大塚から山手線で秋葉原まで行き、総武線に乗り換えて御茶の水へ行くルートだ。
東京の地理には明るくないので、どのルートが一番効率的なのかは知らない。が、駅間の所要時間表では、乗り換え時間を別にすれば、三つ目のルートが最も時間がかかるようだ。そして『珈琲時光』の主人公・陽子(一青窈)は、どうもいつもこのルートを使って古書店街に出かけているらしい。
陽子は地下鉄には乗ったりしない。どうしてか。理由は簡単。地下鉄では画にならないからである。『珈琲時光』は電車や駅ホームの場面がとても多い。電車そのものが主題ではないかとさえ思えるほどだ。中央線、総武線、地下鉄丸之内線が立体交差する御茶の水駅の光景などまったく素晴らしい。鉄道をこんな見事に捉えた監督は、これまで日本にいなかったのではないか。
侯孝賢はどうやら大の鉄道好きらしい。旧作『川の流れに草は青々』『冬冬の夏休み』『恋恋風塵』(どれも大好き!)の三本では、舞台になる町・村に必ず鉄道が走っていて、どれも印象的に描かれている。
たとえば『恋恋風塵』では、主人公の少年・少女が電車で通学していて、ふたりは村の駅から民家の軒先をかすめるように延びている軌道の上を歩いて家に帰る。『冬冬の夏休み』では、危うく列車に轢かれそうになった冬冬の妹をアタマのおかしい娘が助け出し、彼女は冬冬の妹をおんぶして、やっぱり軌道の上を歩く。『川の流れに草は青々』では、村のガキ大将たちがトンネルから出てきた列車と駆けっこをする。
小さい頃、誰でもよくやった線路遊び。ちょっとスリルがあって、ワクワクした。そんな童心を、侯孝賢はいつまでも忘れない。
動きのある列車はそれ自体が映画的だ。リュミエール兄弟の『シオタ駅への列車の到着』から、映画と鉄道には不思議な親和力がある。動くものへの原初的な畏れと感動。鉄道には、人の心を掴まえて離さない魔力があるのだろう。侯監督は、そんな魔力を無意識のまま自覚している希有な映画作家なのだと思う。
鉄道を印象的に使った映画は世界に無数にある(たとえば『旅情』『バルカン超特急』『北北西に進路を取れ』『007/ロシアより愛をこめて』などなど)けれど、日本では案外印象に残るものが少ない(『愛染かつら』『天国と地獄』などがあるけれど)。例外的なのは、言わずと知れた小津安二郎の諸作。小津作品では鉄道が頻繁に描かれる。
汽車とトラックが並走する『和製喧嘩友達』、旅芸人夫婦が汽車で去って行く『浮草物語』、教職を辞した父が息子とともに信州上田に向かい、ラストでは息子が亡き父の遺骨とともに列車に乗る『父ありき』、有閑マダム連中が修善寺に向かう『お茶漬けの味』、次男の嫁が尾道から帰京する『東京物語』、母が北海道に旅立つ『東京暮色』、広島に嫁いでいった娘を父が訪ねていく『彼岸花』。
また、『晩春』では東京の大学に勤める父と買い物に出かける娘が電車の中で読書し、『麦秋』でも、東京の大学に勤める長兄と彼の友人が通勤電車の中で新聞を交換し合っているし、『青春の夢いまいづこ』では新婚ほやほやの夫婦がラストで新婚旅行に出かけて行く。『若き日』や『東京の合唱』では市電、フィルムが現存しない『カボチャ』ですら、電車の場面がスチールで残っている。
中でも最たる“鉄道映画”は、戦前の『生れてはみたけれど』。麻布から郊外に越してきた一家が主人公のこの映画、新居の庭先には軌道が走っていて、注意深く見ていると、カットが切り替わるたびに電車が通り過ぎて行く! ダイヤの過密ぶりは山手線の比ではない!
小津自身、相当な鉄道好きだったのだろうが、小津組のキャメラ番こと厚田雄春の存在も見過ごすワケにはいかない。厚田は大の鉄道好きとしても知られる。だから、小津組の現場では、その日の撮影時間を急行列車になぞらえ、「きょうは名古屋止まりですか」「いや、大阪までになるかな」といった具合にやりとりしていたらしい(筑摩書房小津安二郎物語』)。
小津作品ではダイヤに関する台詞も多い。代表的なのは、『東京物語』で、尾道に帰る父母に、長男が「名古屋か岐阜あたりで夜が明けるだろう」という台詞。母が亡くなった朝、遅れて帰郷した三男も鹿児島行きのダイヤを口にしたりする。
踏切もたびたび登場する。代表的なのはやはり『生れてはみたけれど』の兄弟が通学する道の途中にある遮断機。老父が遮断機の下りた踏切の前で空を眺める『麦秋』、末娘の事故(自殺)が起こった『東京暮色』の踏切、そして『母を恋はずや』の引っ越し途中の踏切などなど。
小津作品に懐妊した女性はほとんど登場しない。唯一の例外は『東京暮色』の次女(有馬稲子)で、彼女は未婚のまま妊娠し、相手の男に棄てられたために発作的に自殺する。その彼女が父親(笠智衆)と暮らしていたのが雑司ヶ谷あたりという設定だった。
珈琲時光』の陽子は、同じ雑司ヶ谷あたりに住んでいる。侯孝賢が『東京暮色』を意図的に引用したのか、それとも偶然かは本人に聞いてみなければわからない。ただ、陽子は『東京暮色』の次女とは逆に、自らシングル・マザーの道を選び生きてゆこうとする。
珈琲時光』は、小津安二郎が愛した“東京”という街で、大好きな“鉄道”というオモチャ箱を存分にもてあそびながら、さりげなく小津の諸作にオマージュを捧げる侯孝賢の、何とも心地よい贈り物だった。

恋恋風塵 [DVD]

恋恋風塵 [DVD]

冬冬の夏休み [DVD]

冬冬の夏休み [DVD]

[rakuten:book:10249044:detail]