『誰も知らない』

襟を正し、脱帽せずにはおれない映画が年に一、二本はある。『誰も知らない』がまさにその一本だった。
映画の冒頭、羽田に向かうモノレールの中で、四人兄妹の長兄が大きなトランクを慈しむように撫でる。もしもこのカットが時間の流れどおりの位置に置かれていたならば、さぞかし観客の涙腺を刺激しただろう。が、是枝監督はあえて映画の冒頭で、四人兄妹の身の上に起こった悲しい出来事を予感させることによって、同情や義憤といった観客の感情移入を見事に拒絶している。この毅然とした映画づくりの姿勢こそ、『誰も知らない』が他の凡百の映画を圧倒する傑作たりえた所以だ。
たとえば「ひどい親だ」とか「子供たちが可哀想だ」とかいった感覚を持つことは実に簡単なことだけれど、是枝監督が描こうとしたのは、社会的規範やモラルに盲従する第三者的な批判や憐憫などではない。ましてや、母親を悪者と決めつけ裁こうとしているのでもない。だから母親役の配役はとても難しかったに違いない。その点、YOUの起用は大成功だった。
深夜帰宅して来る母親の姿を認めた子供たちが、いち早くドアに駆け寄って彼女がノブを回すのを待ちわびる場面は、第三者から見ればいかに無責任な母親であろうとも、彼女に対する子供たちの切実な気持ちがとてもよく伝わる素晴らしい演出だった。四人の子供たちの父親が全部別人という設定は、偶然、成瀬巳喜男の『稲妻』と同じだが、母親役のYOUが、『稲妻』でだらしなくも憎めない母親を演じていた浦辺粂子に負けない存在感を発揮していてこその場面である。
長兄を演じる柳楽優弥の眼差しもまた素晴らしい! トリュフォーの『野性の少年』に登場する、森に棄てられ狼に育てられた少年の眼にとても似ていて、感動した。彼に限らず、四人の子供たちが皆輝いているのは、是枝監督の現実の切り取り方がとても巧みだからだろう。撮影現場で監督はきっと子供たちと良き友人関係を結び、彼らの最良の部分をフィルムに刻み込んだに違いない。
小津安二郎トリュフォー清水宏・・・子供たちの輝きをフィルムに刻印することのできる監督は偉大である。是枝監督も『誰も知らない』によってその偉大な列に加わった。