『ミリオンダラー・ベイビー』

カソリック教徒でゲール語を理解する大柄の男、フランキー(クリント・イーストウッド)がアイルランド系移民の子孫に違いないことは、容易に察しがつく。
そのフランキーがいつも暗誦しているイエーツの詩の中に、イニスフリーという地名が出てくる。イニスフリーは、アイルランドのどこかにある架空の土地のことらしく(実在するとの説も聞いたことがある)、アイルランド人にとって心の故郷、理想郷のような場所を指すらしい。
そのイニスフリーを舞台にした映画があった。ジョン・フォードの『静かなる男』である。
ある日、アメリカから大柄な男(ショーン=ジョン・ウエイン)がイニスフリーの村にやってくる。彼は元ボクサー。試合で対戦相手を死なせてしまったことからボクシングを捨て、父祖の地であるアイルランドに帰ってきたのだ。
ミリオンダラー・ベイビー』のフランキーは、明らかにこのショーンの遺伝子を受け継いでいる男だ。フランキーは、かつて自分の判断ミスでスクラップ(モーガン・フリーマン)の片目を失明させてしまったことに負い目を感じている。だから「自分を守れ」、それがフランキーのボクシング哲学になっている。
しかし、マギー(ヒラリー・スワンク)がタイトル戦で脊髄に致命的な損傷を負ったとき、この哲学は、あっけなく砕け散る。フランキーにとって二度目の、取り返しのきかない敗北となる。しかも、今度は愛する者の生命を奪わねばならなくなる。悔恨の情だけが彼の心にひたひたと押し寄せる。
ラスト、スクラップのモノローグによって、フランキーが何処へか去ったことが観客に伝えられる。スクラップにさえ分からないその行き先は、ひょっとしたら、イニスフリーなのではないか、そんなことを考えたりした。
フランキーは、きっとイニスフリーの村にある先祖代々からの古い家で、揺り椅子に揺られながらイエーツの詩を詠んでいるに違いない。

静かなる男 [DVD] FRT-190

静かなる男 [DVD] FRT-190