『パッチギ!』

偶然本屋で見つけた『パッチギ! 対談篇』を読んだ。とても面白かった。
著者はシネカノン代表の李鳳宇(リ・ボンウ)さんと評論家の四方田犬彦氏。ふたりがそれぞれの生い立ちから青春時代を語り合う対談形式の本で、映画の話題は意外にも少ない。
ご存じのように、シネカノンは、『シュリ』『JSA』『風の丘を越えて西便制』を配給したり、『月はどっちに出ている』『さよなら、クロ』の製作、『誰も知らない』の企画・配給をやった会社。近年破竹の勢いだけれど、設立当初は李さんと妹さんのふたりだけで切り盛りする小さな会社だったらしい(とにかく最初の仕事が“ジャック・ベッケル映画祭”というのだから実に嬉しい)。
そのシネカノンの最新作が『パッチギ!』。
パッチギ! 対談篇』を読むと、李さんは済州島から日本に逃れてきた両親の間に生まれた在日二世(このあたりなんとなく梁石日原作の『血と骨』を思わせる)。家は貧しく、京都朝鮮中高級学校時代は喧嘩に明け暮れたらしい。その実体験が『パッチギ!』の銀閣寺での大乱闘場面に描かれている。
パッチギ!』にはもう一カ所、李さん自身の記憶が反映された場面があるという。朝高生が日本人と喧嘩して殺され、彼の葬式の場面で、家に運ばれてきた棺桶が玄関が狭くて入らないので、彼の友だちが泣きながら玄関をぶち壊すという描写がそれ。
パッチギ!』の中でワタシが思わず胸をつまらせてしまったこの描写、実は李さんの兄さんが亡くなられたときに、李さんの父親が泣きながら玄関を斧で壊していた記憶に基づくものなのだという。
ワタシの生家は、“田”の字型の典型的な古い農家で、ワタシがまだ小学生だった当時、周囲の家がすでにあらかた瓦屋根に変わっていたのに、まだ茅葺き屋根のままだった。茅葺き屋根というのは高度成長時代だった当時は貧しさの象徴で、しかも築五十年以上は経っていると思われた柱は傾いていて、玄関の重い引き戸がきちんと閉まらない状態だった。そのために、来客が帰り際に閉めようとして閉まらないのを、母親が申し訳なさそうにいつも謝っていたのをよく覚えている。
パッチギ!』で、泣きながら玄関をぶち壊す場面に思わず胸がつまってしまったのには、自分自身の古い記憶が突然甦ったこともある。が、それにもまして感動的だったのは、痛切な悲しみが怒りに満ちた動作によって表現されたことだった。これには不意を突かれた。
この描写、実は井筒監督の力量よりは、むしろ李鳳宇さんの実体験の影響が大きいことを『パッチギ! 対談篇』ではじめて知った。
蛇足だけれど、李鳳宇さんとワタシが、七十年代の一時期、京都の映画館で、同じ時間と空間を共有していた(李さんは朝高生として。ワタシは大学生として)ことを知り、ちょっと嬉しくなってしまった。