『ニライカナイからの手紙』

上田秋成の原作を映画化した『雨月物語』には、出奔したまま行方知れずになった亭主の帰りを待ちわびながら、亡霊となってわが子を見守る母が描かれていた。『ニライカナイからの手紙』の母は、この『雨月物語』の田中絹代が演じた母を思い起こさせる。わが子の成長を見守りたいと念じながら、ついに果たし得ない親の無念、底知れぬ悲しみは、いつの時代も変わらないのだろう。

ニライカナイからの手紙』で不治の病に倒れた母が、娘の成人を見届けることのできない無念と成長への願いを託すのは手紙。
毎年の誕生日に届けられるその手紙を、娘はガジュマルの樹の下で何度も何度も読み返す。ガジュマルの樹は、何本もの幹が絡まるように伸びていて、その柔らかなたたずまいがどこか女性的である。『わが谷は緑なりき』『となりのトトロ』に出てきた大樹のおおらかな姿に比べると、『冬冬の夏休み』や『恋恋風塵』の樹のようにどこか懐かしく暖かなもの、母親の温もりのようなものを感じさせる。その樹の下で手紙を読む娘の姿は、まるで母の懐に抱かれるおさなごのようにも見える(これがこの映画のキー・イメージにもなっている)。
まだ小さい頃の娘が、母への手紙を精一杯背伸びしてポストに放り込む場面があった。郵便局長のオジイがその手紙を回収すると、宛名にはつたない文字で「東京 安里昌美さま」と書かれてある。母に対する娘の思いを痛いほど伝えるその文字を見たとたん、思わず胸がつぶれそうになってしまった。母から娘への手紙、娘から母への手紙が時を越えて、死者と生者を繋いでいる。
高校を卒業した娘は、写真家になるためオジイの反対を押し切って上京する。娘が写真家になろうとした理由は、亡き父親が残した一台のカメラ。写真は時を止め、生者を死者へと招き寄せる。娘は、亡き父と母を永遠化し彼らと交信するために、手紙をカメラへと持ち換える。娘にとって写真はいわば、この世(竹富島)とニライカナイ桃源郷=あの世)の境目、窓のようなものではなかったか。

桟橋の赤いポスト、竹富郵便局のオープンセット、毎朝の掃き掃除など、どれも素晴らしいイメージで、忘れることができない。
熊澤尚人監督の誠実な演出が光る。

雨月物語 [VHS]

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