『時代劇ここにあり』をめぐって川本三郎さんを研究する

川本三郎さんが時代劇について語るのは意外な感じがする。しかし『時代劇ここにあり』(平凡社)は、まぎれもなく川本さん一流のマイナー志向、美学が徹底していて実に面白い。
繁栄する都会よりも鄙びた寒村、大通りではなく路地裏、勝利者より敗残者、颯爽としたヒーローではなく傷だらけの日陰者、そして歴史に名を残す英雄、豪傑よりも名も無き市井の人々や貧しい下級武士・・・・川本さんのまなざしは常に儚く弱いもの、ささいで取るに足らないものに向けられる。『時代劇ここにあり』で取り上げられた百五本の時代劇は、どれも川本さんのそうした目線によって選り分けられたものばかりである。
『時代劇ここにあり』は、戦後世代の時代劇論でもある。
敗戦後の占領時代、時代劇はGHQ(連合国総司令部)から封建的と見なされ、自由に製作することができなかった。本格的に時代劇が製作再開され始めたのは昭和二十六年頃。おりしも日本映画は質量ともに第二の黄金時代さしかかっていて、昭和十九年生まれの川本さんはまさにこの時期、『新諸国物語 笛吹童子』や『新諸国物語 紅孔雀』を見たことによって時代劇映画にのめりこんでゆく。
だからこの本には、戦前の黄金時代に製作された時代劇がほとんど入っていない。年代別では、三十年代、四十年代はわずかに四本。このうち三本を占めるのが山中貞雄監督作品(『人情紙風船』『河内山宗俊』『丹下左膳餘話 百萬両の壺』)で、どれも長屋住まいの職人や貧乏浪人、若い娘のために命を棄てる悪党たちが主人公だから、戦前の作品に限っては川本さんが特にお気に入りの作品だけを例外的に加えたと見るべきだろう。
ちなみに、その山中貞雄がもし戦後も生き延びていれば、市井に暮らす人々を主人公にした時代劇をもっとたくさん撮っていたかも知れない。たとえば、藤沢周平の小説などやらせてみたら随分面白い時代劇映画ができたのではないか。そうなれば戦後の日本映画の歴史も随分違ったものになっていただろう。そんなことを考えると、山中の命を奪った戦争がつくづく恨めしい。
戦前作品の極端な少なさに対して、五十年代から二十七本、六十年代からは五十三本も選ばれている。その多くはいわゆる名作でも大作でもないプログラム・ピクチャーで、この時期撮影所で量産されていた時代劇映画を川本さんがいかにこまめに追いかけていたか分かる。昭和三十三年に頂点に達した観客動員数が、みるみる減少していったこの時期、しかも時代遅れと見なされていた時代劇を見続けることは、相当な反骨精神の持ち主とお見受けする。時代に取り残されたものへの愛着を隠そうとしない川本さんらしい。
五十〜六十年代、時代劇映画を最も量産していたのは東映大映東宝でも『七人の侍』『用心棒』『椿三十郎』など黒澤明監督作品を製作しているが、『時代劇ここにあり』で取り上げられているのは東映大映のプログラム・ピクチャーが圧倒的。中でも、両社を代表するスターの中村錦之助(のち萬屋錦之介)と市川雷藏の主演映画は多く、錦之助十三本、雷藏十七本(ちなみに勝新太郎は五本)を数える。特に錦之助の『沓掛時次郎・遊侠一匹』と『関の彌太ッぺ』、雷藏の『ひとり狼』と『中山七里』という股旅モノに川本さんは絶賛を惜しまない。マイナー志向の川本さんの面目躍如といったところ。
六十年代後半、時代劇映画は観客の支持を失い、舞台をテレビへと移す。『沓掛時次郎・遊侠一匹』あたりを境に東映は製作費のかさむ時代劇を諦め任侠映画に路線転換。大映は雷藏死後の七十一年に倒産する。ひとり勝新太郎だけが独立プロで『座頭市』シリーズを撮り続ける。
七十年代半ば頃からは邦画各社とも大作路線に走り、容易には時代劇が作られなくなる。『時代劇ここにあり』で七十年代以降の作品数が極端に少ないのはこうした背景にもよるだろう。豪華絢爛きらびやかな大作路線に転じた時代劇が川本さんの趣味に合わなくなったとも言えるのではないか。八十年代に至ってはゼロ。九十九年にようやく『雨あがる』が入り、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』がそれに続く。
東北の貧乏な小藩の下級武士が主人公で、藩命によって撃ちたくない者と対決せざるをえなくなる、という両作品の基本構造は『沓掛時次郎・遊侠一匹』とまったく同じで、まさに川本さん好みの時代劇である。貧乏侍の日常生活がリアルに描写されているところも素晴らしかった。
『時代劇ここにあり』に収められた百五本のうち、ワタシが見たことがあるのは四十本ほど。その多くは名画座で再映されたときに見たものだけれど、近頃ではそうした機会も少なく、ビデオ化されていないものも多い。昭和十九年生まれの川本さんはワタシよりひとまわりと少し年長だけれども、時代劇映画体験を語る上で、この十年と少しという年齢差は決定的に大きい。なにせ、ワタシの時代劇原体験は、テレビの『てなもんや三度笠』というお粗末(股旅モノ、渡世人モノという点だけは川本さんの趣味と一致しているが・・・)。
ちなみに、同じ藤田まこと主演の『必殺仕置人』と、これに先立つシリーズ第一作『必殺仕掛人』がワタシにとっての時代劇ベスト作品、かな?

時代劇ここにあり

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