『ALWAYS 三丁目の夕日』

VFXの成果と美術の素晴らしさに目を瞠った。『スパイ・ゾルゲ』と比べても格段の進歩。
上野駅の場面など、群集の動きに多少の不自然さが残っているものの、旧駅舎の外観など、驚くべき精巧さ。今にも笠智衆東山千栄子の老夫婦が現れそうなほど。
青森から集団就職で上京した六子(堀北真希)がオート三輪から眺める東京タワーも壮観。六子の仰ぎ見る東京タワーが少しずつその角度を変えていくさまは、『大人は判ってくれない』のクレジット・タイトル場面に現れたパリのエッフェル塔を思い起こさせる。
東京タワーが印象的に登場した映画には、たびたび破壊の対象になった『ゴジラ』シリーズを別にすれば、『秋日和』や『秋日和』へのオマージュでもある『変態家族 兄貴の嫁さん』、そして『20世紀ノスタルジア』がある(最近ではそのものズバリ『東京タワー』という映画もあった)。
しかし、東京タワーが登場する映画は意外に多くない。田舎者にとって東京タワーは東京の象徴であるが、生活者にとってはもはや見慣れた風景の一部なのだろう。仰ぎ見る通行人もいない。
その東京タワーを毎日見つづけた人たちがいた。『ALWAYS 三丁目の夕日』に登場する人々である。昭和三十三年。東京タワーは今まさに建造中。三丁目の人々は、天に向かって伸びてゆく東京タワーを、あたかも明日への希望のしるしのように眺める。
東京タワーを望む一角にある三丁目は、まるでそこだけが時間の流れからとり残され、周囲の世界から隔絶されたユートピアのようにも見える。駄菓子屋があり、煙草屋があり、まだ舗装されていない路地裏がある。いつか見た風景、どこかで出会った人々・・・・。
よく似た映画があったことを思い出した。『長屋紳士録』。小津安二郎監督の戦後復帰第一作。
空襲で焦土と化した敗戦直後の東京。戦災孤児があふれ、人々は生きることに精一杯の時代。その東京に、そこの一角だけがまるごと戦災を免れたように長屋が並んでいる。登場人物は乾物屋のおかみさんや貧乏な職人たち。ここには昔ながらの人情味あふれる暮らしが息づいている。
公開当時、批評家から袋叩きにあったこの作品、今見てみると、小津なりの懐古趣味が溢れていて興味が尽きない。小津は、少年時代の十年間を三重・松阪などで暮らしたとはいえ、生粋の江戸っ子。生涯東京への愛着を隠そうとしなかった(彼の作品に冠せられた“東京”という題名の異常な多さからもそのことはうかがえる)。シンガポールでの俘虜生活から帰還した小津が、戦争で焼け野原と化した東京の風景を前にして何を思ったか。その答えが『長屋紳士録』にあるような気がする。
その『長屋紳士録』は、父親と生き別れになってしまった浮浪児をめぐる話。青木放屁(突貫小僧こと青木富夫の実弟)演じるこの浮浪児は、長屋で乾物屋を営むかあやん(飯田蝶子)の家に転がり込む。厄介者を背負うことになったかあやんは、はじめ彼を邪険に扱うが次第に情が移って可愛がるようになる。その浮浪児に父親が現れ、かあやんはまたひとりぼっちになる。
この挿話が『ALWAYS 三丁目の夕日』にそっくり再現されていた。茶川竜之介(吉岡秀隆)と彼の店に預けられた少年(須賀健太。巧い演技を見せる)の擬似父子の物語。世知辛い現代では通用しない人情噺も、近過去に舞台を変えてしまえば違和感がない。殺伐とした今の時代では御伽噺のように映る作劇が、ちょっと時代を後戻りさせることで血の通った暖かいヒューマン・ドラマに変貌する。
その向かいにある自動車修理工場、鈴木オートではテレビをめぐってひと騒動が持ち上がる。
テレビをめぐる騒動と言えば、『お早よう』。昭和三十四年のこの作品、当時普及し始めていたテレビを買ってほしい兄弟が、父親に反旗を翻す喜劇だった。『ALWAYS 三丁目の夕日』では、堤真一演じる鈴木オートの頑固親父が買ったばかりのテレビを町内の人々にお披露目する。
当時、テレビはまだまだ高嶺の花。平均的なサラリーマンの給料の何か月分もする高価な代物だった。鈴木オートがテレビを買った頃、テレビの普及台数はまだ百万台そこそこで、比較的裕福な層か客商売をやっている家くらいにしかなかったはず。マイ・カー時代はまだ到来しておらず、したがってそれほど繁盛しているとも思えない鈴木オートは、電気冷蔵庫も買うし扇風機だって置いてある。全部月賦に違いないだろうが、それでもかなり裕福な暮らし向きに見える。
山崎貴監督は六十四年生まれだから、当時の物価に対する実感が薄いのか、少々疑問に思う点もある。ひとつは六子へのボーナスのくだり。六子へのボーナス替わりが青森への帰省切符、というのは心温まる逸話のようでいて、よくよく考えると、テレビか冷蔵庫のどちらかを諦めればボーナスくらい楽に払ってあげられるのだから、ある意味わがままな個人経営者の身勝手と言えなくもない。
集団就職が本格化するのは、団塊の最年長が中学卒業を迎えた昭和三十八年の春。それより数年早く東京にやって来た六子は、原作では男の子だとか。映画で女の子に変更されているのはどうしてだろう。町の自動車修理工場に徒弟同然で就職するのが十五才の女の子というのは、少々違和感がないでもない。母親からの手紙を読んで泣きじゃくり、帰省することになるのが男の子では都合が悪かったのだろうか?
鈴木オートのような個人経営の工場はいずれ立ち行かなくなり、息子もやがて大学に入って大企業に就職することになるだろう(そしてバブル崩壊後にはリストラの憂き目に会っているかも知れない世代である)。駄菓子屋はコンビニに取って代わられ、東京タワーの向こうに鮮やかな夕日などもはや見ることはできないだろう。六子もじきに次の仕事を見つけて三丁目を去って行くに違いない。
「五十年後も夕日は綺麗かしら」「綺麗に決まっているサ」。鈴木オートの親子が最後に交わす言葉は、この美しさが一瞬のものであること、この幸せな時代が永遠のものではないことを知りながら、それでも夕日の美しさを信じたいという、前向きで肯定的な響きを感じさせる。VFXの最新技術を駆使しながら、古風な人情ドラマを成立させた奇跡のような映画を締めくくるに相応しいラスト・シーンだったと思う。

小津安二郎 DVD-BOX 第三集

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