『カーテンコール』

団塊の世代(昭和二十二年から二十四年生まれ)が就職や進学のために故郷を離れていったのは昭和四十年代のはじめ頃から半ば頃にかけて。テレビ受像機が大半の家庭に普及して映画館から観客の足がすっかり遠のいてしまったこの時期、若者の多くが都会をめざしたことで地方の映画館の衰退にいっそう拍車がかかった。
ちょうどその頃から映画を見るようになっていたワタシの記憶の中で、映画館は、いつも閑散とした、陰気でカビ臭い暗闇だった。木製の古い椅子、床を這うネズミ、アンモニア臭が鼻をつく便所・・・・暖房のない冬など、しんしんとした冷えが足元から襲ってきた。
『カーテンコール』の舞台になった古い映画館、みなと劇場は、まさにそんなワタシの記憶の中に埋もれていた映画館そのもの。
よくぞこんな映画館を見つけたと感心する。むろん、美術スタッフの手によって建物は意匠を施され、小道具も整えられている。だから、現実の映画館ではない。にもかかわらず、みなと劇場はほんとに懐かしい映画館のたたずまいを見せてくれる。
この映画館のモギリのオバサン役が藤村志保。映画最盛期の昭和三十三年から勤めているという設定。彼女の役名が絹代さんという。この映画の舞台は山口県下関市。下関出身の偉大な映画女優田中絹代さんに敬意を表しての役名だろう。
その絹代さんが、タウン誌の記者(伊藤歩)に、昔みなと劇場の舞台に立っていた幕間芸人のことを語り出す。彼は、はじめ雑役のようなことをしていたが、たまたま上映中のフィルムが切れてしまったことから、場を繋ごうとして舞台に上がりアドリブで芸を披露する。これが観客に受けて、以後彼はみなと劇場の幕間芸人として舞台に立つようになる。
演じるのは藤井隆。これが意外と言っては失礼ながら、適役。彼はもともと資質的に根暗なところがあって、“素人に毛が生えた程度”のあまり可笑しくもない芸人にはむしろぴったり。後半、彼は妻を失って極貧生活に陥るが、売れない芸人であることを妙に納得させる彼の存在感は、この映画の大きなポイントのひとつ。
藤井隆が初めて披露した芸は『座頭市』シリーズ第一作『座頭市物語』のラスト、勝新太郎座頭市天知茂の平手造酒と対決するシーン。この映画最大の見せ場。ここでフィルムが切れたのだから、観客は黙っていられない。藤井隆がたまらず舞台に躍り上がるに十分なシチュエーションである。この場面できわめつけの傑作時代劇を使うところなど、佐々部清監督、憎いほどの巧さ。
この『座頭市物語』をはじめ、東宝を除く邦画各社(東映、角川大映、日活、松竹)が協力して六十年代の映画をいろいろ見せてくれるのも嬉しい。各社が選りすぐりのプログラム・ピクチャーを提供し合って『カーテンコール』を応援しているのがよくわかる。かつての企業エゴ丸出しの時代なら実現しえなかった快挙だけに拍手を贈りたい。
もうひとつ特筆したい点は、下関を舞台に選んだこと。下関は佐々部監督の故郷でもあるらしいけれど、下関を舞台にしたことで『カーテンコール』は随分面白く厚みのある映画になっている。ちょっとセンチメンタルで泣かせる題材なのに、とても清々しく、それでいて気高い気品のようなものを感じさせる。そういった点は『チルソクの夏』に似ている。
この映画を見てすっかり下関が気に入ってしまった。ぜひ遊びに行ってみたい。

座頭市物語 [DVD]

座頭市物語 [DVD]