『力道山』

力道山をリアルタイムで目撃しているのは現在おそらく五十歳前後よりも年配の方々。自分もそのひとりである。
今からざっと四十数年前、昭和三十年代の金曜日夜八時、近所の床屋にオジサンたちが集まって、三菱電機のネオンサインで始まるプロレス中継を見ながら、日本人レスラーを夢中になって応援していた。外国人レスラーに力道山が空手チョップを浴びせかけ、外国人レスラーが朦朧としてマットに沈むや、オジサンたちの熱狂はいよいよ頂点に達した。
オジサンたちは皆戦前生まれで、若い頃敗戦を経験していたからだろう、外国人レスラーを叩きのめす力道山の活躍に溜飲が下がる思いだったに違いなかった。あの頃、力道山はまぎれもなく日本人の最大のヒーローだった。
その力道山が刺殺されたというニュースが飛び込んできたのはたしか昭和三十八年。あまりにもあっけないヒーローの最期が、とても信じられなかった。そしてその彼が実は朝鮮半島出身者であることを知ったのはさらに後のこと。敗戦の屈辱から日本人を立ち直らせ、あれだけ日本中を熱狂させた男が日本人ではなかったという事実には、当時の日本中のプロレスファンが複雑な思いを抱いたに違いない。できれば知りたくなかった事実であったのかもしれない(韓流ブームでヨン様詣でが続く昨今では考えられないギャップである)。
同様に、かつて支配者だった日本を奮い立たせ、日本人に夢と希望を与えた男が同胞であった朝鮮人側にとってみても、日本で活躍する力道山の雄姿は苦々しいものであっただろう。力道山の半生にまつわる映画が、韓国側、日本側のどちらから描いても、単純なヒーロー映画にはなりえない理由が、ここにある。
しかし映画『力道山』は、実に感動的で見ごたえのある映画である。その大きな要因はソル・ギョングの肉体改造にある。この映画のために二十数キロも体重を増やし、しかも力士出身のプロレスラーらしく丸みを帯びた体型に仕上げた努力には感心する。『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロに負けない役者根性である。重量感のあるプロレス・シーンにはゾクゾクした。
それと日本語。日本を舞台にしているから、当然台詞のほとんどは日本語である。ソル・ギョングの日本語はやや聞き取りにくいところがあって決して流暢とはいえないものの、なかなかよく努力していると思う。彼の話す日本語に訛があるという理由で本作を批判している批評家がいた(「キネマ旬報」4月上旬号)けれど、この批評家氏の意見にはまったく賛同できない。訛の全然ない韓国語を喋れる日本人俳優がいるだろうか。
余談ながら、力道山とよくタッグを組んでリングを沸かせた吉村道明氏が先ごろ亡くなった。力道山吉村道明のタッグは比較的後期のことで、だから当時まだ幼かったワタシの記憶には鮮明に残っているのだけれど、吉村が敵側のコーナーにつかまって、鮮血を流しているところを力道山が危うく救出するという展開にはいつもハラハラし、興奮した。思えば、東映仁侠映画のようなこうした展開に日本人は弱いのだろう。自分がつくづく日本人だなあと思うのは、吉村道明氏を思い出すときである。