『イノセント・ボイス 12歳の戦場』

本作の脚本家であるオスカー・トレスは、実際に十四歳のとき戦火のエルサルバドルを脱出して単身アメリカに渡り、その後俳優をめざしながら自身の経験と記憶を一本の脚本にまとめあげた。それがこの『イノセント・ボイス 12歳の戦場』のもとになったシナリオなのだという。
十数年間も続いた内戦の中で、日本ならまだ小学生にすぎない子供たちが軍に拉致され、無理やり兵士にさせられて武器を携行し、昨日まで学校で机を並べていた友だち同士が銃を向け合う悲惨な事実の前には、いかなる言葉も無効である。
エルサルバドルの内戦を扱った映画には、オリヴァー・ストーンの『サルバドル 遙かなる日々』という力作があった。けれど所詮は外国人から見た内戦。『イノセント・ボイス』の圧倒的迫力の前では色あせたものに映る。
『イノセント・ボイス』では、家族の食卓が銃撃戦の場となり、兵隊狩りの政府軍兵士が学校を襲撃したりする。それがオスカー・トレス自身の経験か身近で起こった出来事に基づいた事実に違いないと思われるだけに、地球の裏側で安寧をむさぼっていたこちら側としては、ただただ沈黙するしかない。
しかし、映画は単に事実を伝えるための道具ではない。事実を表現としてどう工夫し昇華させるか、映画の感動はそこから生まれてくる。
印象的な場面がいくつかあった。
ひとつは、軍が少年狩りのために村を襲撃する場面。少年たちは追っ手を逃れて屋根上に隠れる。カメラが引くと屋根上に寝そべっている大勢の少年たちが捉えられる。その様子が、地上を血眼で駆け回る兵士たちの様子と実に対照的で、どこか奇妙にのどかでユーモラスな空気を漂わせていた。
少年たちはそのまま夜になるまで屋根上に寝そべって、星を眺める。オリオン座とシリウスが見えた。また、“蛍遊び”と称して気球を飛ばす場面もあった。地獄のような戦火の中で、こうした描写は見る者の心をホッとさせる。
メキシコ人である監督のルイス・マンドーキは、オスカー・トレスと違って当事者でない分、描写に余裕とそこはかとないユーモアがあり、過剰な思い入れによってこの作品が重苦しくなることから救っている。また、手持ちカメラによる戦闘場面の接写が多く、そのために意外にアクション映画ばりの描写が目立つのも本作の特徴。
最後に(不謹慎ながら)、主人公の少年チャバをアメリカに送り出す母親役のレオノア・ヴァレラという女優が素晴らしい美人で、見惚れてしまった。こういう女優を発見することも映画を見る大きな楽しみのひとつである。