『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』

「今にあなたがここに立つわ」。
ゾフィー・ショルは、反ヒトラーを喧伝するビラを大学構内に撒いた罪で実兄らとともに逮捕、拘束される。彼らはゲシュタポによる取調べの後、法廷で裁きを受けることになるが、裁判は法的に適正な手続きを踏むと見せかける茶番に過ぎない。判事は被告であるゾフィーたちをヒステリックに罵り、弁護士の反論さえ封じ込めたあげく、あらかじめ用意されたとおり三人の被告全員に死刑判決を下す。法廷で最終弁論の機会を与えられたゾフィーが、毅然と判事に向かって言い放つのが冒頭の言葉。
実在したこの裁判官は、かつてソ連の捕虜となった際、共産党に入党して身につけたサディスティックな弁舌、アジテーションによって多くの人々を断頭台に送り続けた人物(この裁判の二年後に空襲で死亡)とか。ナチの忠実な番犬に成り下がった当時の司法のありようを象徴するかのような存在である。
九十年代に旧東ドイツで発見された記録をもとに構成されているとあって、ゲシュタポによるゾフィーの取調べの様子と、法廷での審理に描写の大半が費やされている。数日間にわたる取調べのくだりでは、取調官とゾフィーのやりとりが、事実もかくやと思わせる描写で再現されていて、いわば密室劇の緊迫感が漂う。
同じモンタージュが長時間反復されることもあって、このあたり、やや平板で退屈するのだけれど、執拗なカットバックの繰り返し、取調室と法廷に限定した場面構成、それに続く死刑執行というプロットが、ロベール・ブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』に酷似している。
厳しい取調べにも法廷での罵倒にも屈することなく、毅然と刑を甘受するゾフィーの強さが、どこか時代を超えてジャンヌ・ダルクとダブるところもあり、題材の類似性だけでなく、手法にいたるまで『ジャンヌ・ダルク裁判』の意図的な模倣である可能性はすこぶる高い。その点は、監督(マルク・ローテムント)に是非とも訊いてみたいところだ。
「ある日、犠牲者の銘板を見たのです。ゾフィー・ショル・・・・彼女の人生が記されていました。・・・・私が総統秘書になった年、処刑された・・・・その時、私は気づきました。若かったというのは、言い訳にならない。目を見開いていれば、気づけたのだと」。
昨年公開された『ヒトラー〜最期の12日間〜』のラスト、ヒトラーの元秘書であったトラウドゥル・ユンゲ本人が観客に対して語った言葉である。われわれ日本人にとっても彼女の言葉は重い。が、不幸にして再びあのような暗い時代に立ち会わねばならなくなったとしたら、われわれがゾフィー・ショル同様、英雄的で自己犠牲的な行動に出ることができるかどうか、それはきわめて怪しい。
人間は弱いものである。たとえ卑怯者の烙印を押されようとも生き延びようとするものなのかも知れない。だから、個人的には、ショルとともに死刑判決を受け、裁判官に命乞いをしたクリストフの方に興味が湧く。ワタシがもし監督であったなら、クリストフが主人公の『白バラの祈り』を撮ってみたい気がする。

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