『マッチポイント』

ジョージ・スティーヴンス監督の名作『陽のあたる場所』(五一年作品)とあまりに似ているので、そのリメイク、つまりシオドア・ドライサー原作の小説『アメリカの悲劇』の三度目の映画化だと思ったら、そうではなかった。
カンヌでの記者会見で『陽のあたる場所』との共通性を指摘されたウディ・アレンは、まったく意識していなかったと答えているようだけれど、模倣やオマージュでもない、ましてや巧みな換骨奪胎とも言えない痕跡が、残念ながら『マッチポイント』にはいくつもある。
まず、ストーリーが『陽のあたる場所』に酷似しているばかりでなく、描写の細部にもほとんど丸写しと思われる箇所がいくつも出てくる。たとえば、クリス役のジョナサン・リース・マイヤーズが、ノラ役のスカーレット・ヨハンソン(ジョハンソン)に初めて出会う場面。ヨハンソンは、恋人である資産家トムの屋敷内で卓球をしているのだけれど、『陽のあたる場所』では、貧しい青年ジョージ(モンゴメリー・クリフト)がひとりビリヤードをやっているところへ資産家の娘アンジェラ(エリザベス・テーラー)が現れ、ふたりは一瞬で恋に落ちる。この場面、人物が入れ替えてあるのと、ビリヤードを卓球に置き換えただけで、ほとんど『陽のあたる場所』のコピーといっていいと思う。
クリスが妻クロエの父親が経営する会社に入社してとんとん拍子に出世するエピソードも『陽のあたる場所』にある。ただし『陽のあたる場所』では、このあたりの経過を短い時間ながらも巧みな編集できっちり描いているのに対して、『マッチポイント』ではいささか描写が粗雑。全盛期のウディ・アレンならもっと工夫していたのでは。
また、妻たちとバカンスに出かけたクリスのところへ、ヨハンソンから妊娠を告げる電話がかかる場面。これも『陽のあたる場所』に同じ場面があり、ディナーの席にいるジョージにかかってきた恋人(シェリー・ウィンタース好演)からの電話を、執事が取り次ぐというサスペンスフルな描写になっていた(お手軽な携帯電話というヤツは、映画的な緊張感をずいぶん台無しにしてしまう小道具である。携帯電話の時代には『君の名は』など生まれない。)。
特に気になったのは、マイヤーズがヨハンソンと電話で内緒話をするとき、妻や妻の家族たちにも聞こえてしまいそうなほど近い距離で話すこと。これでは彼の浮気に気づかない妻たちがバカに見えてしまう。過去のアレン作品(たとえば『ハンナとその姉妹』)では、浮気者同士はコソ泥のようにもっとずるく巧妙に振舞っていた。そんな振る舞いの中にクスクスとしたユーモアも生まれたのだけれど・・・・。
全般的にストーリーをなぞることに腐心するあまり、饒舌で冗漫(アレン作品としては過去最長の上映時間とか。)な仕上がり。アレンらしい機知や冴えも消化不良で、さすがに衰えが目立ってきたのでは。
なお、ジャズのスタンダードを愛用しているアレンが、今回はオペラを使っている。是非は別として、イングマール・ベルイマンを敬愛するアレンが、いわゆる芸術やらヨーロッパ文化とやらにコンプレックスを抱いて背伸びしようとしたとき、彼の映画はおおむね失敗する(たとえば『インテリア』)。
彼の持ち味は、何と言ってもスノッブで自虐的なある種の“軽み”。“真面目になるが人の衰え”という言葉を聞いたことがあるが、『マッチポイント』の真面目さは、ある意味七十歳を越えたアレンの衰えを図らずも露呈してしまった。ニューヨークに帰って、いつもの戯作者に戻ってくれることを願う。

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