『太陽』

天皇は、平安の末期に権力の座を滑り落ちて以来、南北朝時代など一時期を除いて政治史の表舞台からは消えた。伝統的文化の継承者という側面を持ちながらも、他の歴史上の英雄・豪傑・有名人たちに比べて映画や演劇・小説などの世界で題材になることがほとんどない理由である。
嵐寛寿郎明治天皇を演じた『明治天皇と日露大戦争』、御前会議に現れた岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』、玉音放送が流れていた侯孝賢の『悲情城市』など、天皇がまったく登場しないわけではないけれども、形式的には明治以降国家君主たる天皇は神聖不可侵の現人神として、皇国思想に基づく国家統治の基本原理とされたから、日本人にとってどうも天皇という存在は、未だに雲をつかむようなところがあって、どう扱っていいものやら、なかなかやっかいな存在、というのが正直なところではないか。
そのような天皇という存在に対する日本人的感覚、現実離れした神のような存在への畏敬や敬虔な感覚といったものは、ソクーロフの描く昭和天皇にはまったくない。ソクーロフは、日本人なら誰しもが思い描いてきた天皇像とは明らかに隔絶した人物として天皇を描いてみせる。ソクーロフ天皇には、ひょっとしたら本物の天皇はこういう人物であったかもしれない、そんな風に思わせる妙なリアリティと説得力がある。
もしかつての社会主義国ソ連が、教条的に天皇を描いたなら、きっとこうはならなかっただろう。天皇ヒトラーに勝るとも劣らない極悪非道の専制君主戦争犯罪人か野獣として断罪されたに違いない。が、ソクーロフはそうした紋切り型の定義や解釈からはまったく自由だ。ソクーロフの描く天皇はとても無邪気で茶目っ気のある冗談好き。天皇が“チャーリー”になりすましたり、蟹の分析に自己陶酔しきるあたりの描写は、およそ日本人には思いもよらない驚嘆すべき演出である。
こんな天皇を見ていて、ピエル・パオロ・パゾリーニが『奇跡の丘』で描いたイエス・キリストを思い出した。『奇跡の丘』のキリストは、威光に包まれた神でもなく、また奇跡を起こすわけでもなく、乞食のようにみすぼらしい衣服を纏って裸足で荒野をさまよう。その姿には妙なリアリティがあって、民衆に向かってアジテーションする姿など、映画化の当時どこにでもいた血気盛んな青年のような印象を受けた。
ソクーロフの描く昭和天皇は、神でもなく怪物でもない、まさに『奇跡の丘』のキリストを思い起こさせる存在である。
イッセー尾形が怪演。マッカーサーとの会見場面で人格的にマッカーサーを圧倒する演技など凄いの一語で、賞賛に値する。

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