『酒井家のしあわせ』

監督の呉美保は、タイトルは忘れたけれど何かの映画で記録係をやっていた。
記録、つまりスクリプトの仕事は撮影されたショットの一切を記録すること。たとえば今撮影中のショットに出ている俳優がどんな衣装を着ていて、カット尻では手足の位置がどこにあったかなど、こと細かにメモをとる。
映画では同じシーンだから続けて撮るとは限らず、スケジュールの都合でまったく別の日に撮影なんてこともよくあるハナシ。連続したシーンなのにカットが切り替わったとたん出演者の衣装が違っていたり、アクションがつながらなかったりというミスが起こらないとも限らない。だから記録の仕事は地味だけれど映画製作のうえではとても大事なパートである。
撮影前に建て込みをする美術スタッフや、ポスト・プロダクションがメインになる音楽家、編集者などと違って、記録係は撮影監督や録音マン、照明マンらとともにつねに現場、それも監督のすぐそばで仕事をするから助監督と同じくらい映画全体を把握できる重要なスタッフでもある。映画修行にはまさに最適なポジション。
たとえば、映画の撮影現場が映画になった『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー監督)でナタリー・バイが扮したスクリプト・ガール(この役はトリュフォー映画の常連スタッフであるシュザンヌ・シフマンをモデルにしている)は、助監督や共同脚本家としても大いに活躍する、監督の右腕ともいえる存在だった。
前置きが長くなってしまったけれど、『酒井家のしあわせ』の呉美保は、撮影現場の記録係としての経験が活きているのだろう、とても新人とは思えない手馴れた監督ぶりである。特に思春期の男子中学生(森田直幸)と彼の母(友近)、そして義父(ユースケ・サンタマリア)と妹の四人家族の何気ない生活を描く前半がとても良い。
ところが中盤になって、ユースケ・サンタマリアの突然の家出という事件を追いかけ始めたとたんに失速。展開も台詞も説明的になる。地方ロケにありがちな祭り場面も必然性に乏しく、平板な印象をぬぐえない。いっそのこと、事件らしい事件が何も起こらない脚本にすればよかったのに、と思う。
ともあれ現場育ちの有望な監督の登場である。呉美保の次回作に期待します。