『それでもボクはやってない』

周防正行監督・脚本の『それでもボクはやってない』は、社会派エンターテインメントとして群を抜いた面白さ。気が早すぎるけれども、今年度、本作以上に面白い日本映画はまず出てこないと断言できる。
冤罪裁判といえば今井正監督の『真昼の暗黒』が即座に思い起こされるけれども、本作はむしろ『十二人の怒れる男』に近いディスカッション・ドラマの秀作。主人公で裁判の被告人となる徹平(加瀬亮)の現行犯逮捕から警察での取調べ、留置、勾留、起訴、そして公判という流れに描写を絞り、ありがちな家庭生活や家族の場面をばっさり切ったストレートなシナリオ構成によって、焦点がきわめて明確で無駄のないドラマになっている。
法廷劇というと、ついつい正義対悪、市民対国家権力などという対立構図を作りがちで、劇的効果を狙った陳腐な図式に陥る危険を孕んでいるのだけれど、周防監督は、これまでの日本映画で幾度となく繰り返されてきた、弁護士=正義の味方、検事=国家権力の手先、裁判官=木偶の棒、というパターン化に陥ることなく、いわばプロフェショナルとしての法曹人が職務に忠実であろうとすればするほど結果的に冤罪を作り出してしまうという制度的な欠陥を、緻密かつ巧みなシナリオによって再構成している。
法廷という限られた空間の中で二時間を越える長丁場をまったく飽きさせない演出手腕も凄い。長期間にわたる取材と資料に基づいて描かれる公判の経過描写は一分のスキもなく、『Shall We ダンス?』以来の長いブランクを微塵も感じさせない。ハリウッド映画にありがちな最後の逆転無罪という大団円すらない(証人・唯野未歩子の登場も結局無罪判決にはつながらない。)のに、実にエキサイティングな映画である。
法廷のセットはこれまでに見たどの裁判劇よりも現実感があり(近作『ゆれる』の法廷は、どちらかといえば『めまい』のようなハリウッド映画を思わせる造りだったが・・・・)、事件ファイルがうず高く積まれた法律事務所もセットなのだという。まったくもって恐れ入る。
俳優陣のアンサンブルも絶妙。本物としか思えない公判担当裁判官の正名僕蔵、無表情の奥に官僚根性を巧みに表した小日向文世が特に素晴らしいし、副検事(司法試験合格の必要がない、いわばたたき上げだそうな。)を演じる北見敏之も、本物もかくやと思わせる憎々しげな小役人役を巧演。三人ともこれまで日本映画に登場した裁判官、検事の中では最も魅力的な人物像ではあるまいか。
痴漢の弁護に嫌悪感を持っていたものの徐々に被告人に公正な裁判を受けさせたいと思うようになる新米弁護士役の瀬戸朝香、その上司の役所広司、徹平の母・もたいまさこ、蚊の鳴くようなか細い声で尋問に耐える被害者の女子中学生役・柳生みゆも好演だが、留置場の同房者役を怪演する本田博太郎が特に印象的。
その他、徹平のパンツの中を覗き見る下衆な根性丸出しの警官を嬉々として演じている徳井優、管理人役・竹中直人、証人役・田口浩正清水美砂ら常連の登場も嬉しい。
ちなみに、山本耕史の役名は『生れてはみたけれど』『戸田家の兄妹』などの斉藤達雄、もたいまさこの役名は『晩春』『東京物語』『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』でおなじみの高橋豊子(トヨ)、竹中直人の役名(青木富夫)は、『シコふんじゃった。』同様、すべて小津安二郎作品の常連役者に由来することは言うまでもない。

それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!

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