『母べえ』

日本の周辺に、日本に敵対的姿勢をとる国があったとして、その国が日本に武力攻撃する準備を進めていると、仮に日本政府が主張したら、武力攻撃には武力で応える、つまり自衛のための交戦なら賛成だ、という世論が多数を占めるかもしれない。仮にそうなった場合、次に、戦争遂行のためには大勢の兵士が必要だからあなたのお子さんを徴兵する、と政府が言い出したとしたら、防衛戦に賛同した方々は、さてどう反応するだろう。
日本は今世界でも類例のない速度で少子化が進んでいる。一人っ子である若者も多いだろうし、彼や彼女は母親にとってかけがえのない存在のはずである。大切なお子さんが戦場に狩り出されるとなれば、おそらく世のほとんどのお母さんたちは徴兵に断固反対するだろう。しかし国権の発動たる戦争は、いったん戦端が開かれれば、国民一人ひとりの都合など構ってはくれない。だから「防衛のための戦いは仕方がないが自分の子供は兵隊にしたくない」という身勝手な理屈はハナからナンセンスで、仮に大義ある戦争ならば賛成という立場を取るなら、わが子の命など国家にくれてやる覚悟が必要である。
ひとたび臨戦態勢に突入すれば、国家は戦いを貫徹するために都合の悪い意見・発言・行動を統制しようとする。戦前の治安維持法は、まさにそうした法律で、犯せば逮捕拘禁され、最悪の場合極刑が科せられた。多くの国民が、表面上は大義ある戦いに同調し国家に従順であった背景には、こうした悪法の存在がある。
母べえ』の父べえ(坂東三津五郎)は帝国大学出身のインテリで、独文学者という設定になっているが、確信的と言えるほどの反戦思想家でも危険な活動家でもないように見受けられる。ただ、著作物が検閲で発刊不許可となり、その結果治安維持法違反容疑で逮捕拘禁されてしまう。
拘禁は非人道的かつ不衛生きわまりないもので、それがもとで父べえはとうとう獄死してしまう。彼が亡骸となって帰宅すると、母べえ吉永小百合)たち一家は、遺骸を前にただたださめざめと泣く。国家への反逆者という汚名を着せられ、罪人以上の辱めを受けた父べえの死はあまりにみじめで悲惨である。しかし、夫を死に追いやった国家や官憲に楯突くことなど想像もつかず、公に葬儀を執り行うことも許されなかった母べえたちは、ひたすら過酷な運命に耐えるしかない。そういう時代だったのだ。
父べえの弟子として母べえの家に出入りするようになるのが浅野忠信。彼も帝大出身の秀才だが、不器用で片耳が不自由。おまけにめそめそ泣くし泳げないときている。徴兵検査では丙種だった彼にも、やがて戦局の悪化とともに召集令状が届く。そして満州から輸送船で南方に転戦するさなか、魚雷攻撃を受けて艦もろとも海に沈み、帰らぬ人となる。
戦友が届けてくれた訃報に、母べえは泣く。戦争という大きな時代のうねり翻弄され、大切な家族や友人を失った母べえにできることといえば、ただただ泣くことだけ。泣くことで亡き夫や大切な友人の死を悼み、死者の魂を鎮めようとする。
男らしさや勇壮さ、潔さといったものは、個人よりも国家や組織が優先され、生き延びることよりも自らすすんで死ぬことに価値を見出す時代に利用されやすい。そんな時代、女々しさや優しさは、敗北に通じる感情として否定され、侮蔑の対象にしかなり得ない。そんな女々しさ、優しさという感情に突き動かされる人々を好んで描いた先人がいる。山田洋次と同じく松竹出身の木下恵介監督である。
その木下は、従軍時代にこんな経験をしている。彼は、徴兵によって出征した中国戦線で負傷し、行軍から脱落しかかって危うく自決しそうになる。幸い後方の病院に収容されて回復した彼は、他の兵隊が皆そうであったように、当然原隊に復帰させられるはずだった。ところがなぜか軍医の計らいで彼は内地送還になる。映画界に復帰した木下はその後監督に昇進、日本映画史に名を残す名匠になったことはご承知のとおり。
彼が内地送還になった理由は今となってはわからない。が、ひとつには、肺病の疑いを掛けられていたこと、もうひとつは木下が入院中に歌を詠んでおり、それを知っていた軍医が、青白い文学かぶれは軍隊ではたいした役に立たないと判断したためかも知れない、と作家の長部日出雄氏は推論している(『天才監督 木下恵介』新潮社刊)。
木下は、たとえば『陸軍』で、決して反戦を口にするわけではないが、戦地に赴く息子の隊列にいつまでも無言のまま追いすがる母親(田中絹代)を描いたり、『二十四の瞳』で、夫や教え子たちの戦死を悲しんでさめざめと泣く教師(高峰秀子)を登場させたりしている。こうした主人公たちに共通するのは、勇壮な男っぽさや潔さとはあまりに対照的な優しさ、ある意味女々しさに満ちた人々であるという点。『母べえ』の吉永小百合坂東三津五郎、それに浅野忠信ら登場人物にも共通する気性である。
原稿によってしか闘えない父べえ、徴兵検査では丙種合格で泣き虫の弟子・浅野忠信。彼らは、戦時体制下ではほとんど存在価値のない男たちであり、蔑みの対象でしかない。しかし、母べえや娘たちにとっては間違いなくかけがえのない夫であり父であり友人である。『母べえ』は、国家や世間からいかに疎外されようとも、家族に限りない愛情を注ごうとする市井の人々を描くことによって、国家や世間という得体の知れない化け物の理不尽な凶暴性を際立たせている。
国家や官憲に対して無力であった市井人への山田洋次の愛情に満ちた視線は、『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『武士の一分』の藤沢周平三部作のそれに通じるものがある。
今なぜ『母べえ』なのかといった声も聞かれるが、『母べえ』は、山田のこれまでの作家としての一貫した姿勢の延長線上にあり、その軸は微動だにしていない、と答えればそんな疑念に対する答えとして十分であるように思う。

木下惠介 DVD-BOX 第1集

木下惠介 DVD-BOX 第1集

[rakuten:book:12042395:detail][rakuten:ebest-dvd:11044754:detail][rakuten:book:12609601:detail]
武士の一分 豪華版(S) (5万セット限定 3大特典付) [DVD]

武士の一分 豪華版(S) (5万セット限定 3大特典付) [DVD]