『火垂るの墓』

意識的に長年見ることを避け続けてきた作品。きっと打ちのめされるに違いないとわかっていたから。地上波で放送されたのを機に、ついに見てしまった。やはり予感は的中した。
火垂るの墓』は、“悲しい”などという通り一遍の言葉では表せない、厳粛で、崇高な反戦アニメーション。これ以上の純度はないと思われる悲劇の極北に位置する傑作である。
主人公は十四歳の兄と四歳の妹。ふたりは空襲で母を亡くす(母の亡骸がモノのように処理されてしまう場面がまずショック)。しかたなくふたりは小母の家に身を寄せる。小母の家には勤労動員に出ている従兄姉がいる。小母一家に気兼ねした兄妹は、母の形見を売りさばいたカネで米を買う。小母は、兄妹がお国のために働いているわけではないという理由で、自分の子供たちには米飯を食べさせるが、兄妹にはシャブシャブの雑炊しか与えない。幼い妹は空腹が辛抱できなくなってくる。兄は、ドロップの空き缶に満たした水を妹に飲ませてやるしかない。
小母は非人でも悪人でもない。ただ、転がり込んできた兄妹を厄介に思い、彼らの生死に構っていられないだけである。
兄妹は小母の家を出て壕で暮らし始める。母が残した貯金をはたいて百姓たちから米や野菜を買ったり、蓄えが尽きると畑から農作物を盗んだりして食いつなぐ。百姓に泥棒の現場を押さえられた兄は、こっぴどく叩きのめされ警察に突き出される。
誰もが食うに困った時代と思われていた戦争末期。しかし、百姓には田畑がある。兄妹に恵んでやる程の食い物がなかったわけでもなかっただろうが、彼らには人の命より農作物の方が大事である。飢えた孤児になど関心はない(黒澤明監督が『七人の侍』で、憐れと見えた百姓たちが、実は何でも隠し持っている狡猾で卑怯な存在として描いていたことを思い出す)。
妹はいよいよ衰弱し、栄養失調で死ぬ。兄は妹の亡骸を一晩抱いて過ごす。炭を買い求め遺骸を荼毘にふすと遺骨をドロップの空き缶に納める。空き缶の中でカラッコロッと立てる遺骨の乾いた音が、胸にグサリと響く。
兄もやがて浮浪児となり、朦朧とした意識の中で妹の夢を見る。駅員が彼を小突き、ドロップの空き缶を投げ捨ててしまう。兄妹の魂はあの世で一緒になる。
戦争と大人たちの無関心によって、石ころのように捨てられてゆく子供たち。これ以上の悲惨はないと思われる兄妹の運命を、まことに純度の高いシナリオと、幻想的で詩的ともいえる豊かな表現力で描く傑作。襟をただし、ただただ賞賛の拍手を贈りたい。
脚本・監督は高畑勲。『耳をすませば』の監督・近藤喜文作画監督とキャラクター・デザインで参加している。

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七人の侍(2枚組)<普及版> [DVD]

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