『まぶだち』

最近の日本映画は学園モノがとても多い。脚本家、監督をはじめとした製作者側の社会人としての経験の乏しさ(学校と業界しか知らない?)ゆえか、あるいは日本には表現するに値する世界が学校以外に見当たらないのか、そのあたりはよく判らないが、日本映画全盛期だった一九五〇〜六〇年代の作品群と最近の作品群を比較して統計でもとってみれば、近年の学園モノの多さは際立っているだろうと思う。
『まぶだち』も学園モノの一本。しかしこれは甚だ異色。本作の実質的な主人公とも言える教師(清水幹生)は、日本映画の世界でよく描かれる熱血教師、ハナシの判る教師、友達や兄貴のような教師などとはまるで違い、生徒に対して専制君主のごとく君臨。生活記録と称して毎日の行動や考えたことを書かせては、生徒を三段階に分類評価して教室に掲示。生徒は生徒でより良い評価を獲得しようと、ある者は顔色をうかがい、ある者は彼に媚びへつらう。
威圧的な教師と面従腹背ながら彼に隷従する生徒の関係は、まるで大人の管理社会の縮図。これが案外最近の学校社会の実態を反映したものなのかもしれない。教師と生徒の夢のような信頼関係など、それこそ映画やTVドラマの中だけの絵空事に違いない。古厩智之監督の実体験をベースにしていると思われるフシのある『まぶだち』は、そういう意味では、きわめてリアルな学園ドラマだとも言える。
しかし、おそらく古厩監督の頭の中にあったのはトリュフォーの『大人は判ってくれない』である。いつも白衣を着ている清水幹生の教師は『大人は判ってくれない』で黒の法衣のような衣装を纏っていた教師とダブるし、『まぶだち』にも『大人は判ってくれない』にも教師が生徒(『大人は判ってくれない』ではジャン=ピエール・レオ)を平手打ちするシーンがある。
『まぶだち』の悪ガキ三人組は万引きをやるが、『大人は判ってくれない』のジャン=ピエール・レオはタイプライターの窃盗。そのジャン=ピエール・レオは、宿題で好きなバルザックの文章を引用してバレるが、『まぶだち』の悪ガキは生活記録の書き方の要領を友達に伝授したりしている。模倣というよりは、好きな作品、監督への目配せであろう。
トリュフォーといい、古厩といい、優れた監督は学校時代、どうも教師と折り合いが悪いものらしい。教師を信頼し、教師にあこがれる者が映画に溺れたりするはずもない? か・・・・。

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