『運命じゃない人』
たった一夜の間に起こった出来事を、複数の登場人物それぞれの視点から、時制を行きつ戻りつ語るという技巧的な作品でありながら、婚約者に裏切られた女性とお人好しの青年の出会いをなかなか情感豊かに描いた秀作。
手法としては、近年ではクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』などの諸作、少しさかのぼるとタランティーノがオマージュを捧げたスタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』、さらにさかのぼれば、ジョゼフ・L・マンキーウィッツの『裸足の伯爵夫人』や『イヴの総て』、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』などがその起源。外国映画では、しばしば見受けられる手法だけれども、時間という概念を情緒的に捉えがちな日本映画ではあまり見かけない。
若い女性が思いつめた表情で婚約者のアパートの鍵を郵便受けに放り込んで立ち去るファースト・シーンから、彼女がその夜たまたま出会って訪れることになったお人好しの男のアパートに、翌朝再び戻ってくるラスト・シーンまで、まことに緻密かつ簡潔に組み立てられたシナリオがお見事。ビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』へのさりげないオマージュといい、映画ファンを喜ばせてくれる手腕もある。
脚本兼監督の内田けんじ、新人にしてはなかなか達者だけれど、映像的には少々平板な印象がある。これを克服すれば名匠の域?
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『ラスト、コーション 色戒』
アルフレッド・ヒッチコックの『汚名』で、ナチの残党とおぼしき秘密組織に潜伏した女スパイ(イングリッド・バーグマン)が、恋人のケーリー・グラントに、組織の首領格であるクロード・レインズから結婚を申し込まれたと打ち明ける場面があった。作戦を続行させるためにケーリー・グラントはバーグマンを冷たく突き放すが、おそらくその時胸中に去来したおぞましい想像の部分を映像化したのが、この『ラスト、コーション 色戒』である(ただし結末はまるで逆だが・・・・)。
『汚名』の女スパイ・バーグマンの敵との結婚生活が、もし『ラスト、コーション』のタン・ウェイとトニー・レオンのようであったとしたら・・・・傑作『汚名』に描かれなかった部分をそんな風に想像するのは下衆なこととは思うが、案外変態だったヒッチコックのこと、映画倫理規程の緩んだ現代に現役監督であったならば、もっと淫らな『汚名』を撮ってバーグマンを痛めつけ、恍惚としていたかもしれない。だって、あの知的でクールなバーグマンがこんな恥ずかしい姿勢を敵の前にさらすなんて、考えただけでも興奮するじゃないですか。
『ラスト、コーション』の『ラスト』は“Last”ではなく“Lust:性欲、情欲"。なるほど、どうしてこれほど執拗な性描写が必要なのかは、映画を最後まで見れば分かる。
トニー・レオンが頑張っていた。さらに頑張ったのはタン・ウェイだった。戦前の若き日の田中絹代にもちょっと似ているが、あどけなさと淫らさが同居しているところがたまらない魅力。本年度の最優秀女優は文句なしに彼女で決まりです。
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『まぶだち』
最近の日本映画は学園モノがとても多い。脚本家、監督をはじめとした製作者側の社会人としての経験の乏しさ(学校と業界しか知らない?)ゆえか、あるいは日本には表現するに値する世界が学校以外に見当たらないのか、そのあたりはよく判らないが、日本映画全盛期だった一九五〇〜六〇年代の作品群と最近の作品群を比較して統計でもとってみれば、近年の学園モノの多さは際立っているだろうと思う。
『まぶだち』も学園モノの一本。しかしこれは甚だ異色。本作の実質的な主人公とも言える教師(清水幹生)は、日本映画の世界でよく描かれる熱血教師、ハナシの判る教師、友達や兄貴のような教師などとはまるで違い、生徒に対して専制君主のごとく君臨。生活記録と称して毎日の行動や考えたことを書かせては、生徒を三段階に分類評価して教室に掲示。生徒は生徒でより良い評価を獲得しようと、ある者は顔色をうかがい、ある者は彼に媚びへつらう。
威圧的な教師と面従腹背ながら彼に隷従する生徒の関係は、まるで大人の管理社会の縮図。これが案外最近の学校社会の実態を反映したものなのかもしれない。教師と生徒の夢のような信頼関係など、それこそ映画やTVドラマの中だけの絵空事に違いない。古厩智之監督の実体験をベースにしていると思われるフシのある『まぶだち』は、そういう意味では、きわめてリアルな学園ドラマだとも言える。
しかし、おそらく古厩監督の頭の中にあったのはトリュフォーの『大人は判ってくれない』である。いつも白衣を着ている清水幹生の教師は『大人は判ってくれない』で黒の法衣のような衣装を纏っていた教師とダブるし、『まぶだち』にも『大人は判ってくれない』にも教師が生徒(『大人は判ってくれない』ではジャン=ピエール・レオ)を平手打ちするシーンがある。
『まぶだち』の悪ガキ三人組は万引きをやるが、『大人は判ってくれない』のジャン=ピエール・レオはタイプライターの窃盗。そのジャン=ピエール・レオは、宿題で好きなバルザックの文章を引用してバレるが、『まぶだち』の悪ガキは生活記録の書き方の要領を友達に伝授したりしている。模倣というよりは、好きな作品、監督への目配せであろう。
トリュフォーといい、古厩といい、優れた監督は学校時代、どうも教師と折り合いが悪いものらしい。教師を信頼し、教師にあこがれる者が映画に溺れたりするはずもない? か・・・・。
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『奈緒子』
『長距離ランナーの孤独』のトム・コートネイ、『フレンチ・コネクション2』のジーン・ハックマン、『卒業』のダスティン・ホフマン、はたまた『アントワーヌ・ドワネル』シリーズのジャン=ピエール・レオの例を挙げるまでもなく、走ることはきわめて映画的なリズムと躍動感にあふれた運動である。
古厩智之監督は先天的にそのことを熟知していて、決して画に映ることのない人の心理というものを、言葉や説明に頼ることなく、まさに“走る”という映画的な運動として表現する。たとえば、人を救助しようとして命を落とした父親の息子が、父親に命を救われて成長した娘の差し出す水を拒絶して走り去る場面が、そう。『奈緒子』が終始一貫停滞することなく観客の心を惹きつけるのは、“走ること”が生み出す映画的な運動感覚によるところが大きい。
的確なカッティング、ツボを心得たハイスピードカメラの使用、映画好きには堪らない流れるような横移動・・・・こんな映画的呼吸に満ちた作品は最近めずらしい。無意味な長まわし、思わせぶりな台詞、テーマ偏重の下手なド素人映画が横行する昨今、実に爽快な出来栄えと申し上げたい青春映画。
上野樹里、三浦春馬、笑福亭鶴瓶、柄本時生はむろん、ライバルの駅伝ランナーを演じた綾野剛、佐津川愛美など、みなさん好演。
上野樹里と綾野剛の走りも素晴らしく、得点を大いに稼ぎました。
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『やわらかい手』
一九六八年、アラン・ドロンと共演した『あの胸にもう一度』で、黒のバイクスーツに身を包んでオートバイをぶっ飛ばしていた、あのマリアンヌ・フェイスフルが、六十過ぎのいいお婆ちゃんになって、しかも指先で男をイカせる風俗店ナンバーワンの売れっ子に扮するなんて、それだけで感涙モノ。店のオーナーと交わす枯れた愛の描写も秀逸。
マリアンヌに乾杯!・・・・で★ひとつオマケ。
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『魔法にかけられて』
『白雪姫』をパロディにしたようなおとぎの国のお姫様が現代のニューヨークに現れて恋に落ちる、という着想が素晴らしいファンタジックなミュージカル・コメディ。
世間知らずの王女様(オードリー・ヘップバーン)が訪問先のローマで街に出てトンチンカンな笑いを振りまきながら記者(グレゴリー・ペック)と恋をする『ローマの休日』と基本的には同じアイデアなのだけれども、シチュエーション・ギャップを使ったギャグに工夫が足りず、今ひとつ盛り上がらないのが残念。お姫様を演じるエーミー・アダムスも華やかさに欠ける。もう少し練り上げたシナリオでキュートな女優を使えば採点も良くなった。
とはいうものの、こういう幸せな気分にさせてくれる映画は歓迎である。アラン・メンケンの音楽もあいかわらず素晴らしい。
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『歓喜の歌』
明らかに『フラガール』の二匹目のドジョウを狙った企画。主婦のコーラスグループを主人公に据えた日常ドラマは、一見地味で意表をついた感じに思えるが、実は計算づく。
クレジットを読むと、首都圏のママさんコーラスが多数エキストラ出演しているけれども、主婦の口コミ力は相当なものだから、ネズミ講式に動員が膨らむと踏んだシネカノンの商魂はしたたかである。結果的に『フラガール』ほどのヒットにはならなかったらしいが、それでもおよそ映画の主人公にはなりえない主婦の生活ドラマとしては異例の好成績をたたき出したに違いない。
内容的には、二つのコーラス・グループをダブル・ブッキングするために市民ホールを改修してしまうという少々乱暴な飛躍があったり、ダブル・ブッキングに至る経過がいまひとつあっさりしている点や、日時の経過がよく整理されていないことなど、シナリオ上の弱点が多々あり、そうした弱点をカバーするほどの勢いはないので、★ひとつ減点せざるを得なかった。
小林薫はあいかわらず巧い。