『エリザベス:ゴールデン・エイジ』

中世から近世にかけてのヨーロッパ、ことに英国を舞台にしたコスチューム・プレイは、サー・ローレンス・オリヴィエの諸傑作でさえ敬遠したくなるほど苦手なジャンル。しかし、これは面白かった。
カソリック信徒・スペイン国王フェリペ二世の英国への野心、スペイン無敵艦隊と英国海軍の戦い、エリザベス女王スコットランドのメリー女王との王位継承争いを縦軸に、ひとりの女としてのエリザベスの懊悩を、焦点を絞って簡潔明瞭にドラマ化してあるので、英国史に疎いワタシにも非常に判りやすい。娯楽映画として見ごたえ充分で楽しめた。監督は前作『エリザベス』のシェカール・カプール
ケイト・ブランシェットはもちろん適役だが、共演のジェフリー・ラッシュクライヴ・オーウェンも好演。

『僕のピアノコンチェルト』

もし監督がフレディ・M・ムーラーでなければ見なかっただろう。それほど彼の旧作『山の焚火』は素晴らしかったのだが、この日本語題名では中味が全然伝わらない。危うく大事な一本を見落としてしまうところだった。近年の配給会社の付ける邦題には、見る意欲を刺激してくれるものがとても少ない。
内容は、ピアノだけでなく自然科学などの分野でも天才的な能力を発揮する少年が、天才であることの重圧や孤独に耐えられなくなり、ひと芝居うって普通の子供になりすますが、最後にはフルオーケストラを従えてコンサートの舞台に戻るお話。
株で大儲けしたおカネでお爺ちゃんに自家用飛行機を買ってあげるなど、こちとら凡才から見れば甚だ羨ましい限りではあるが、さすがはムーラー、ひとつ間違えば感涙物に堕してしまうところを、天才少年とその祖父の友情物語として実に巧みに描いている。少年がベビーシッターのお姉さんに惚れてしまうエピソードも秀逸。
お爺ちゃん役のブルーノ・ガンツがまったく素晴らしく、『ベルリン 天使の詩』の天使がそのまま舞い降りてきたようだった。

『犬と私の10の約束』

チャップリンの『犬の生活』や往年の大ヒット作『南極物語』を挙げるまでもなく、人と犬にまつわる作品はまことに多いが、近年日本映画では、企画不足か、はたまた癒しを求める時代の風潮か、このジャンルの映画が頻出。
昔から“動物と赤ん坊には勝てない”といって、愛くるしい犬でも出しておけば観客の共感が得られやすいのは確かだと思うけれど、崔洋一監督作品『クイール』や『マリと子犬の物語』など、どれもなかなかあなどれない出来栄えである。
『犬と私の10の約束』も、出だしは少々ギクシャクするものの、中盤からは花嫁とその父親の物語をベースにして、手馴れたドラマ展開で飽きずに見ることができた。
主役のゴールデン・レトリバーの演技が達者。動物と共演するとワリを食うことが多いが、田中麗奈が意外にも(失礼!)好演。加瀬亮もひ弱そうな音楽青年が適役。

『人のセックスを笑うな』

センス抜群だった『犬猫』で大いに気に入った井口奈巳監督。彼女の新作ということで期待していたのだけれど、ガックリ。
突然炎のごとく』のジャンヌ・モローを思わせるような、つかみどころのない永作博美と、彼女に翻弄される初心な松山ケンイチ、それに蒼井優を交えた三角関係は、いつかどこかで見たいくつかの映画を思わせるが、やたらに長いワンシーン・ワンショットに工夫がなく、台詞も聞き取りにくいので、二時間を超える長尺の上映時間が大変苦痛。イライラさせられる。こんな題材はもっと短く軽やかに、せいぜい百分程度にまとめなければいけない。
以前、『犬猫』について“一本なら誰でも傑作が撮れる”というような意味の批評を目にしたことがあって、その意見には少々反撥したのだけれど、不幸にしてくだんの皮肉な評価が的中してしまったカタチ。ただし、女性層を中心にヒット(その理由は中年のオッサンにもなんとなく察しがつく。)したそうだから、次回作のオファーはあるでしょう。そのときどんな映画を撮るのか、きっと井口監督の真価が問われる。頑張って頂戴!

『再会の街で』

ジェリー・シャッツバーグ監督、ジーン・ハックマンアル・パチーノ主演の『スケアクロウ』を、9.11同時多発テロの後遺症に苦しむ現代のニューヨークに置き換えたかのような秀作。
スケアクロウ』では、刑期を終えたハックマンと船乗りで何年も家を空けているパチーノが街道で出会う。ハックマンはピッツバーグへ向かう途中妹を訪ねるところ。パチーノはデトロイトにいる妻のもとに向かう途中である。ハックマンのタバコに、パチーノが最後の一本のマッチで火をつけてやったことから二人は意気投合。一緒に旅をする。
デトロイトに着いたところでパチーノは妻に連絡するが、妻はすでに再婚。子供も死んだと告げられる。ショックのあまりパチーノは頭がヘンになる。ハックマンは店を開くつもりで蓄えていたなけなしのカネをパチーノの治療に使うことにする・・・・という二人の男の友情を描くロードムーヴィー。七十年代、アメリカン・ニューシネマの時代を代表する一本。
アメリカン・ニューシネマの諸作には、当時泥沼化していたヴェトナム戦争の影が落ちている。『真夜中のカーボーイ』『イージー・ライダー』『帰郷』『タクシー・ドライバー』『ディア・ハンター』など、どれもそうである。
同じように現代のアメリカ映画には、9.11やテロによる被害や後遺症を語る作品が多い。『再会の街で』もその一本に数えられるけれども、本作の大きな特徴は、映画のつくりが何となく七十年代風なところで、特に音楽の使い方がそうである。説明するのは難しいが、たとえば七十年代の映画をビデオで百本くらい見てもらえば分かってもらえるのではないか。ちなみに、映画中に引用されているメル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』や『ブレージング・サドル』も七十年代の作品。
アダム・サンドラーが非常に素晴らしいが、彼の演技や風貌は明らかに七十年代のスターであるアル・パチーノを意識している。メイクもいかにもボブ・ディラン風。
余談だけれども、フレッド・アステアリタ・ヘイワースが“I'm Old Fashioned”を踊る『晴れて今宵は』も引用されているところを見ると、マイク・バインダー監督、どうも古い映画がお好きなようで。だからか映画のつくりが実に丁寧で、最後まで飽きることなく見られた。

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『母べえ』

日本の周辺に、日本に敵対的姿勢をとる国があったとして、その国が日本に武力攻撃する準備を進めていると、仮に日本政府が主張したら、武力攻撃には武力で応える、つまり自衛のための交戦なら賛成だ、という世論が多数を占めるかもしれない。仮にそうなった場合、次に、戦争遂行のためには大勢の兵士が必要だからあなたのお子さんを徴兵する、と政府が言い出したとしたら、防衛戦に賛同した方々は、さてどう反応するだろう。
日本は今世界でも類例のない速度で少子化が進んでいる。一人っ子である若者も多いだろうし、彼や彼女は母親にとってかけがえのない存在のはずである。大切なお子さんが戦場に狩り出されるとなれば、おそらく世のほとんどのお母さんたちは徴兵に断固反対するだろう。しかし国権の発動たる戦争は、いったん戦端が開かれれば、国民一人ひとりの都合など構ってはくれない。だから「防衛のための戦いは仕方がないが自分の子供は兵隊にしたくない」という身勝手な理屈はハナからナンセンスで、仮に大義ある戦争ならば賛成という立場を取るなら、わが子の命など国家にくれてやる覚悟が必要である。
ひとたび臨戦態勢に突入すれば、国家は戦いを貫徹するために都合の悪い意見・発言・行動を統制しようとする。戦前の治安維持法は、まさにそうした法律で、犯せば逮捕拘禁され、最悪の場合極刑が科せられた。多くの国民が、表面上は大義ある戦いに同調し国家に従順であった背景には、こうした悪法の存在がある。
母べえ』の父べえ(坂東三津五郎)は帝国大学出身のインテリで、独文学者という設定になっているが、確信的と言えるほどの反戦思想家でも危険な活動家でもないように見受けられる。ただ、著作物が検閲で発刊不許可となり、その結果治安維持法違反容疑で逮捕拘禁されてしまう。
拘禁は非人道的かつ不衛生きわまりないもので、それがもとで父べえはとうとう獄死してしまう。彼が亡骸となって帰宅すると、母べえ吉永小百合)たち一家は、遺骸を前にただたださめざめと泣く。国家への反逆者という汚名を着せられ、罪人以上の辱めを受けた父べえの死はあまりにみじめで悲惨である。しかし、夫を死に追いやった国家や官憲に楯突くことなど想像もつかず、公に葬儀を執り行うことも許されなかった母べえたちは、ひたすら過酷な運命に耐えるしかない。そういう時代だったのだ。
父べえの弟子として母べえの家に出入りするようになるのが浅野忠信。彼も帝大出身の秀才だが、不器用で片耳が不自由。おまけにめそめそ泣くし泳げないときている。徴兵検査では丙種だった彼にも、やがて戦局の悪化とともに召集令状が届く。そして満州から輸送船で南方に転戦するさなか、魚雷攻撃を受けて艦もろとも海に沈み、帰らぬ人となる。
戦友が届けてくれた訃報に、母べえは泣く。戦争という大きな時代のうねり翻弄され、大切な家族や友人を失った母べえにできることといえば、ただただ泣くことだけ。泣くことで亡き夫や大切な友人の死を悼み、死者の魂を鎮めようとする。
男らしさや勇壮さ、潔さといったものは、個人よりも国家や組織が優先され、生き延びることよりも自らすすんで死ぬことに価値を見出す時代に利用されやすい。そんな時代、女々しさや優しさは、敗北に通じる感情として否定され、侮蔑の対象にしかなり得ない。そんな女々しさ、優しさという感情に突き動かされる人々を好んで描いた先人がいる。山田洋次と同じく松竹出身の木下恵介監督である。
その木下は、従軍時代にこんな経験をしている。彼は、徴兵によって出征した中国戦線で負傷し、行軍から脱落しかかって危うく自決しそうになる。幸い後方の病院に収容されて回復した彼は、他の兵隊が皆そうであったように、当然原隊に復帰させられるはずだった。ところがなぜか軍医の計らいで彼は内地送還になる。映画界に復帰した木下はその後監督に昇進、日本映画史に名を残す名匠になったことはご承知のとおり。
彼が内地送還になった理由は今となってはわからない。が、ひとつには、肺病の疑いを掛けられていたこと、もうひとつは木下が入院中に歌を詠んでおり、それを知っていた軍医が、青白い文学かぶれは軍隊ではたいした役に立たないと判断したためかも知れない、と作家の長部日出雄氏は推論している(『天才監督 木下恵介』新潮社刊)。
木下は、たとえば『陸軍』で、決して反戦を口にするわけではないが、戦地に赴く息子の隊列にいつまでも無言のまま追いすがる母親(田中絹代)を描いたり、『二十四の瞳』で、夫や教え子たちの戦死を悲しんでさめざめと泣く教師(高峰秀子)を登場させたりしている。こうした主人公たちに共通するのは、勇壮な男っぽさや潔さとはあまりに対照的な優しさ、ある意味女々しさに満ちた人々であるという点。『母べえ』の吉永小百合坂東三津五郎、それに浅野忠信ら登場人物にも共通する気性である。
原稿によってしか闘えない父べえ、徴兵検査では丙種合格で泣き虫の弟子・浅野忠信。彼らは、戦時体制下ではほとんど存在価値のない男たちであり、蔑みの対象でしかない。しかし、母べえや娘たちにとっては間違いなくかけがえのない夫であり父であり友人である。『母べえ』は、国家や世間からいかに疎外されようとも、家族に限りない愛情を注ごうとする市井の人々を描くことによって、国家や世間という得体の知れない化け物の理不尽な凶暴性を際立たせている。
国家や官憲に対して無力であった市井人への山田洋次の愛情に満ちた視線は、『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『武士の一分』の藤沢周平三部作のそれに通じるものがある。
今なぜ『母べえ』なのかといった声も聞かれるが、『母べえ』は、山田のこれまでの作家としての一貫した姿勢の延長線上にあり、その軸は微動だにしていない、と答えればそんな疑念に対する答えとして十分であるように思う。

木下惠介 DVD-BOX 第1集

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『かあちゃん』

当地では公開されなかった旧作。今回日本映画専門チャンネルで放送されたのを初めて見た。
天保年間、江戸下町の長屋にドケチな一家が住んでいた。“かあちゃん”こと、おかつ(岸恵子)と三人の息子、それに娘の五人家族である。一家は毎月の月初めと十四日、決まって貯めたおカネの勘定をするという噂。これを偶然聞きつけた喰い詰め者の若い無宿人が、その夜、かあちゃんの長屋に忍び込む。ところが強盗は初めてというこの男、憐れな身の上がかあちゃんの同情を誘い、温かいうどんをご馳走になったばかりか、なんとこの家に居ついてしまう。
聞けば、かあちゃん一家は、三年前に窮乏のあまり親方のカネに手を付けて御用になった知り合いの男のために、商売の元手を作ってやっているのだという。その男が明日にも牢を出て帰ってくる。やがて無宿人の若者も三人の息子たちと一緒に大工仕事を始める・・・・という人情噺。原作は山本周五郎山本周五郎の小説の映画化は黒澤明が得意だったけれど、これは和田夏十さん他の脚本。監督市川崑
人間関係が希薄化し世の中が殺伐としている昨今、時代錯誤と言ってしまえばおしまいだけれど、こういう人情噺を見ていると正直ホッとする。見ていて気持ちが良い。最近は見ていて気持ちの良い映画が少なくなった。
岸恵子のキャラクターは、気風が良くて一見ぶっきらぼう、でも人情味豊かで優しい。同じ市川崑監督作品『おとうと』の姉役に通じるところがある。意外にこういう役柄は難しいと思うが、適役。映画で育った女優でないとこういう役はできない。
西岡善信の美術も素晴らしい。粗末で薄汚く埃っぽい屋内の造作が絶品。真冬の貧乏長屋の寒さが実によく出ている。
市川崑は『股旅』でもそうだったが、時代劇のセットに妙なリアリティを出すのが巧い。まるで昼のように明るいテレビの時代劇のセットとは対照的。
追悼放映ではなかったが、たまたま市川崑監督の他界と重なった。市川監督75本目の作品。冥福を祈ります。合掌。

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